妊娠から出産までの記録

妊娠から出産までの記録

妊娠したい。でもなかなかできない。焦りと不安の中、ようやく新しい命を授かり出産するまでの記録。 

 

「枕を変えたら、秒で寝落ち 呼吸するわたしの枕」

赤ちゃんがほしい

私は子供が欲しいなと思った時からなかなか妊娠することができなかった。

同時期に結婚した友人達が次々と妊娠していくことに不安と焦りを感じ始めた。

悪気がないのは分かっているが、職場で「赤ちゃんまだ?」とか「若いうちに産んだほうがいいよ」など言われるたびに落ち込んでいた。

そんな時、職場の同僚から産婦人科を教えてもらったので行ってみることにした。

まずは検査をした。

検査結果は黄体ホルモンの分泌が不十分な状態ということだった。

原因が分かって少しホッとした。

それからは排卵誘発剤を使った治療を始めた。

何度も何度も治療を続けていたある日、2週間高温期が続いていることに気付いた。

いつものように婦人体温計で測るとまだ高かった。

でも毎回期待していると次の日に体温がガクッと下がっていつもがっかりしていたので、今回は期待しすぎないようにした。

緊張しながら翌朝体温を測るとまだ高温期のままだ。

これはもしかして!と思いながらもまだ我慢して待った。

また翌朝体温を測るとまだ高い!これは本当に妊娠したかも!

そしてその日仕事が終わると急いで妊娠検査キットを購入した。

家に帰ってドキドキしながら検査した。

結果は【陽性】

何度見ても陽性。

夢じゃないよね?信じられない気持ちと嬉しさで心臓がバクバクしていた。

帰宅してきた夫に妊娠したことを伝えると、驚きとともに喜びを感じていた様子だった。

週末産婦人科に行った。

そこで新しい命がしっかりと確認できた。

関わってくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいだった。

ここから幸せなマタニティライフが始まる
はずだった。。。

妊娠中のハプニング

安定期に入るまでは職場の上司にだけ報告した。

皆に妊娠を伝えていないので、いつものように荷物を持ち動き回って仕事をしていた。

そんなある日、少し出血があった。

でも妊娠が初めてだった私はこのくらいの少量の出血はあるのかも、と勝手に思い込んで特に気にしていなかった。

数日後、同じ妊婦の仲の良い同僚にだけ妊娠したことを伝え出血のことも話した。

すると同僚の表情が一気に変わり「すぐに病院に行ったほうがいいよ!」と言われた。

私はそうなの?と思いながら同僚に言われた通りかかりつけの産婦人科に行った。

先生は「出来るだけ動かないで。」と言った。

切迫流産だった。

やっと授かった命。

赤ちゃんは大丈夫なの?と私はかなり動揺していた。

その日から会社を少し休ませてもらい、トイレと食事以外はずっと横になっていた。

日に日に不安が大きくなり、つわりなのか不安からなのか分からなかったがずっと気分が悪かった。

夫も私が心身共に弱っていることを心配して、私の実母に助けを求めた。

母はすぐに私の元へ来てくれた。

数日間お風呂にも入れず、食事もままならない弱った私を見てすごく驚いていた。

「もっと早く言ってくれれば良かったのに!」と怒り口調だったが心配して出た愛ある言葉だった。

母の顔を見て少し安心したのか気分がちょっとずつ良くなっていった。

そして数日後ようやく出血も止まり安定してきた。

本当に毎日怖かった。

でも絶対に赤ちゃんを守りたかった。

貴重な情報を教えてくれた同僚には感謝しかない。

それからは体に負担をかけないよう気遣いながら日々過ごした。

安定期に入り職場の皆にも伝えた。

仕事内容も体に負荷がかからない作業に変えてくれた。

それから順調にお腹も大きくなりすっかり安心していたある日、下腹部がすごく張って痛みもあった。
そして出血もあったので切迫流産の時の恐怖が蘇り、翌日病院に行って診てもらった。

今度は切迫早産と診断された。

私の体は一気に硬直した。

その日から治療薬を飲み安静に過ごすようにした。

助産師さんにお腹を支えるベルトを教えてもらいすぐに装着した。

ベルトをするとかなり安定感があり、今思えばもっと早くベルトで支えておけば良かったなぁと思った。

出産

くつ下をひとりで履くのも苦しいほど膨らんだお腹。

たまにむにゅ~っと足で蹴られている感覚がすごく可愛くて愛おしい。

そして無事産休に入りゆっくりとその時間を満喫していた。

ついに予定日を迎えたが何の変化もなっかた。

予定日より9日過ぎてもまだ変化がなく、明日まで陣痛がなければ陣痛促進剤を使用すると先生に言われた。

その言葉に少し緊張を感じた。

その日の夜、小さな下腹部の痛みで目が覚めた。

その痛みは徐々に強くなってきたので間隔を計ってみた。

だんだん短くなっている。

夫を起こして陣痛がきたことを伝え産婦人科にも電話をした。

すぐに出発し産婦人科に到着すると着替えをして分娩室に入った。

助産師さんが子宮口を確認するとかなり開いている状態だった。

そして初めて分娩台に上がり緊張したが深呼吸をして心を落ち着かせた。

陣痛が来ては少し落ち着きの繰り返しで、その痛みはかなり強かった。

徐々に痛みがくるのがわかるので「あ~きたきた。」という感じで何度も痛みに耐えた。

そして子宮口も全開になり出産の準備が整った。

そこの産婦人科はソフロロジー分娩を推奨していて何度かDVD鑑賞をしていたので、習った通りに赤ちゃんが出てくるまでいきまず呼吸法を続けた。

しかしいつになっても赤ちゃんは出て来ず、緊迫した空気が伝わってきた。

助産師さんが私のお腹を両手で圧迫し始めた。

そしてついに「いきんで!」と言われて、びっくりした私は初めてそこからいきんだ。

すると徐々に赤ちゃんが顔を出してきた。

私は最後の力を振り絞った。

すると「おめでとうございます!女の子ですよ。」小さな命が誕生した。

赤ちゃんの泣き声が聞こえない。。。

分娩台の上から赤ちゃんを見ると真っ青だった。

でも皆さんが必死にサポートしてくださり、ようやく「オギャー!」の声が聞こえた。

安心と喜びと感動の波が同時に流れて来た。

小さな命は私の胸にそっと寄り添い私を見つめているようだった。

「生まれてきてくれてありがとう。」と赤ちゃんに声をかけた。

こうして無事出産することが出来たのだがここからが試練の始まりだった。

命がけの出産だと知った

私は分娩台に何時間横になっていただろう。

なかなか移動の合図がない。

すると先生から輸血するレベルの出血量だったことを聞かされ、輸血と投薬のどちらを選ぶか問われた。

副作用や感染症などのリスクを考え私は投薬を選んだ。

そしてずっと付きっきりだった母が翌朝も来てくれた。

病室に入った母は私の顔を見て「どうしたの!?」と驚いていた。

私は何が?と思いながら尋ねると「顔がパンパンに腫れてる。」と言われすぐに鏡で自分の顔を見た。
その顔は別人かと思うほど大きく腫れ上がっていた。

その腫れは顔だけではなく手や足にも出てきた。

母は痛ましい姿を見て、私の足をずっとさすってくれた。

そこでようやく命に危険が及ぶレベルの出血量だったことを実感し始めた。

毎日豪華な食事が用意されるのだが、貧血がひどく食欲もなかったためほとんど夫の胃袋へ入っていった。

なぜか常に興奮状態でだんだん眠れなくなっていた。

母乳をあげた後は数時間眠ったら良いのだが全く眠れなかった。

その状況に少し焦りを感じ始めていた。

赤ちゃんとの生活を楽しみにしていたのに、描いていたものとはかけ離れた現状だった。

でも母乳を飲む姿は愛おしく見ているだけで幸せを感じた。

まだかなりの貧血状態だったので通常より入院期間が長くなる予定だったが、もう退院したい、病院だから眠れないんだと思い、無理を言って予定より早く退院させてもらった。

それからは実家にお世話になった。

家事全般は全て母がやってくれたのでとてもありがたかった。

赤ちゃんの沐浴やおむつの替え方など色々なことが母の時代とは違ようだった。

私は病院で習った通りにやっていると、母は自分の時とは違うことが気になるようで口論になることも多々あった。

そして実家でもまだ眠ることが出来ず、ゆっくりできるはずの実家なのに早く自分の家に帰りたかった。

そして1ヶ月が過ぎ両親にお礼を言って自分の家に帰った。

ここからは甘えることが出来ないので気合を入れ直した。

眠れない恐怖

新しい生活が始まった。

2時間ごとに母乳とミルクを与え、おむつを替えたりお風呂に入れたりとだんだん育児に慣れていった。

夜中に泣き声で起きた時は、母乳を与えながら壁に寄りかかったまま寝てしまうこともよくあった。


そして数ヶ月が過ぎた頃、入院中から悩んでいた「眠れない状態」が悪化していた。

夫に相談しても「無になればいい。」というアドバイスのみで、無になれない私には対処にならなかった。

そしてだんだん夜が来るのが怖くなっていた。

「また今日も眠れなかったらどうしよう。」と不安と恐怖でいっぱいになっていた。

私の場合、なかなか眠りに入れない入眠障害になっていたと思う。

ずっと脳が興奮状態で毎日質の悪い睡眠だったため、起きてもぼーっとしてスッキリしない。

それでも誰にも相談できず毎日を過ごしていた。


ある日、「どうやって息したらいいの?」と感じるほど息苦しく呼吸がとても浅かった。

呼吸の仕方がわからなくなるほど精神状態が不安定になっていた。

もう頭がおかしくなりそうで、その頃から吐き気があり食欲もなくどんどん痩せていった。

このままでは危ないと感じ精神科に行くことにした。

軽いうつ状態と診断された。

食欲を増進させる薬や安定剤を処方してもらった。

その頃ミルクのみで母乳をあげていなかったので、その日から服用した。

するとあれほどひどかった吐き気が治まり、ちゃんと眠りにつけるようになった。

ようやく苦しかった不眠から解放されたが、どうしても薬に頼ることへの罪悪感を感じてしまう。

1錠から半錠へ、半錠から1/4錠へと減らしていき、薬を卒業したくてサプリに変更してみた。

すると意外にサプリでも眠ることができ、罪悪感も少し薄れてきた。

その後1年間の育休も終え仕事復帰したが、生活のリズムが変わったこともあり、たまに不眠の恐怖が襲ってくることがあった。

改善はしていたが完治までは至っていなかった。

 

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