本当は活発でユーモアのある性格なのに、いつしか目立たず穏やかに振る舞う自分になっていた。
陰陽は優劣や善悪のない自然な状態の一部だった
どんなに華やかで順風満帆に見える人でも、少なからず葛藤や弱さを抱えているのではないかと思う。しかし大半の人は、悩みや苦労、人に知られたくない過去はあえて公表せず、良いところだけを見せたいだろう。
今回この記事を投稿することにかなり抵抗があった。それは誰にも言わず、胸の中にしまっておきたい内容が語られているからだ。以前にも人に言ったことのない体験記事を何件か投稿しているが、それに関してはあまり抵抗を感じなかった。
そして執筆はどんどん進むのに、一向に投稿まで踏みきれずホカホカと温め続けていた。しかしまた一つ私に届いたもの、それは「ネガティブなこともどんどん発信していきなさい」というメッセージだった。ずっと投稿できずに眠らせていたこの記事のことだとすぐにわかった。そして自分の中のネガティブな部分の存在を認め受け入れて、投稿に踏み切ることにした。
本当の私は幼少期で止まったままだった
幼稚園児から小学低学年頃まで、私はとても活発で怖いものなしの強気な女の子だった。ユーモアもありいつも周りの人を笑わせていたので、友達からは「ひょうきん」と言われていた。
いつも自分が中心になって、ごっこ遊びをする時は必ず自分が先生や店員など子供が憧れる役をしていた。
幼稚園児の頃は先生に憧れていたのか、配り物やシール貼りなど率先して手伝っていたようだ。
少しやんちゃな女の子ではあったが、いじめられている子を目撃したら黙っていられない正義感の強い一面もあった。
小学生の頃、ある女子を汚い扱いした男子に対して、大声で怒鳴りつけたこともある。そんな性格だったためか、私はかなり目立つ存在だったと思う。
クラスで強めの女子(女ボス)からよく目をつけられていた。教室のドアに2、3人で立ち、私が通れないよう塞ぐのだ。その頃の私はそんなことをされてもへっちゃらで、体当たりしながら通り抜けていた。
ある時は、昼休みに外で友達と遊んでいたら、女ボスが10人くらいぞろぞろ同級生を連れて私の前に立った。私と遊んでいた友達は怖かったのか、すぐに教室に戻った。私は10対1だろうがなんてことなかった。相手は言いたいことをガーっと言って去っていった。
昼休みが終わり掃除の時間になった。すると女ボス以外の女子が私のところに全員やってきた。まだ何かあるのかと思ったが、「さっきはごめんね」と謝りにきたのだ。少し驚いたがすぐに「いいよ」と言って和解した。あの子たちもやりたくないのに無理に引っ張られて、仕方なく同行したのだろう。
他にも掃除をしないさぼり男子には、いつも厳しく注意していた。ちびまる子ちゃんに登場する「前田さん」によく似た生徒だった。
いばりんぼうで少しお節介なところがあるため、休み時間に椅子に座っていたら、私の頭を背後から飛び蹴りして去った男子もいた。めちゃくちゃ痛くて涙が出そうだったが、絶対に泣かなかった。道をふさいだり背後から飛び蹴りされるなど、他者から見ればいじめられているように見える状況でも、あの頃の私は自分がいじめられているという感覚はなかった。とにかく強気だった。なのでひどいことをされても、親に話したことは一度もなかった。
そんな幼少期だったが、小学高学年から中学生へと成長するにつれ、だんだん自分を出してはいけない気がしてきた。何がきっかけだったかわからないが、あれだけ自信過剰だったのに、何に対しても自信がなくなり、おとなしくなっていったのだ。目立ってはいけない、もっと隠れて小さくなっておこうと思い始めた。
それからはできるだけ目立たないように学生時代を過ごした。社会人になってもそれは続いた。長い間自分を偽って生きてきたのだ。その方が攻撃されず楽に生きられると学んだからだろう。
そんな偽りの私は他者から見ると、滅多に怒らない穏やかな性格と思われていたと思う。しかし長年本来の自分を抑え、仮面を被って生活していることに、もどかしさや違和感を覚え始めた。幼少期の活発でユーモアのある私が、本来の自分だということに気づき始めたのだ。もう目立たないように小さく隠れなくていい。少しずつ自分に自信を取り戻していこうと思った。
初めていじめだと認識した中1の春
中学校へ入学し、大好きな音楽に直接携わりたくて吹奏楽部に入部した。部活を見学していると、色々な楽器が目の前にありとても興奮したのを覚えている。その中で私はトランペットパートを希望して入った。当時トランペットパートには男子しかおらず、私と友人の2人が女性初だった。そんなことも知らず、トランペットが吹けることにワクワクしながら部活動に励んでいると、木管パートの先輩に呼び出された。そして「今までトランペットパートには、男子しか入れなかったのに!」と不満そうな表情で言った。先輩たちは私たちが女子初だということが気に入らなかったのだろう。私たちには何の罪もないが、そこから集中攻撃が始まった。
廊下で先輩に出会ったら大きな声で「おはようございます」と挨拶しながら礼をしたが、「90度に礼して!」と言われた。
ある時は部室に呼び出され、「床に正座して黒板に書いてある文章読んで!」と言われ2時間正座させられた。黒板いっぱいに文句が書かれてあったらしい。それを他の同級生は全部読んでいたが、感情のままに不満を書き殴っていることは察していたので、私は一文字も読まなかった。これ以上不快な気持ちになりたくなかったからだ。
またある時は、昼食後「腹筋300回やって!」と言われた。食後すぐ300回の腹筋はかなり苦しかった。先輩たちは腕を組んで私の真後ろに立って見張っていた。数日後お尻に豆ができた。痛みをかばいながら腹筋することが本当に辛かった。この時、「私はいじめられているんだ」と初めて感じた。しかしこのことも親には話していない。
先輩たちも1年生の頃、3年の先輩に嫌がらせされて辛い思いをしてきたようだ。だからといって自分が先輩になった時、同じようなことを後輩にやるという考え方が私には理解できなかった。
辛いいじめを乗り越え、私も先輩になった。そして後輩が入部してきてくれた。私にとって後輩は可愛い存在で、一緒に部活動することが楽しかった。自分がされて嫌だったことは決してしないと決めていた。なので後輩とはとても仲良く、良い時間を過ごせたと思う。
あっという間に部活引退となり、最終日に後輩たちは大号泣して引退を惜しんでくれた。本当に可愛い後輩に恵まれて幸せだった。
長年「母軸」で生きてきた
幼い頃から社会人になるまで決定権はいつも母にあった。
やりたくない習い事を女の子ならこれを習うべきとか、かけっこは1等でなければならないとか、就職率の良い高校に入り、大企業に就職しなければ安定した幸せを手に入れることはできないなど、ずっと母の言う通りに生きてきた。
母としては娘を幸せにしてあげたいと思いながらも、自分ができて当たり前だったことを強要したり、自分が叶えられなかった夢や望みを娘に託したりしたかったのだろう。しかし母の望みと私の望みは全く別物だ。
他人に決められることは本来とても不快なことだと思うが、幼い頃からそれが当たり前だった私は、「母の意見は絶対で全て正しい」と思い込んでいた。
しかし大人になるにつれ、母の敷いたレールを歩むことに違和感を覚え始めていた。長年縛られていたような苦しい感覚があった。それに気づいてからは、母の言いなり人生は卒業した。
今思えばこれらの経験も必要だったのかもしれない。罪悪感や承認欲求を強く感じる経験ができたからだ。
子供の頃たくさん味わった苦い経験も無駄ではなく、きっと何かの役に立つと信じている。


